CULTURE

THE JUICE BAR ERA

Juice Barは、1970年代初期のNew Yorkにおいて、ストリートカルチャーの形成に重要な役割を果たした場所の一つです。

DJ、ダンサー、そしてそこに集まる人々が音楽を共有し、踊り、交流することで、独自のストリートカルチャーが育まれていきました。

Rock Danceはもちろん、Disco、HIPHOP、HOUSEといった、その後に続くストリートカルチャーを理解する上でも、Juice Barは欠かすことのできない文化的背景の一つです。

その当時の現場を実際に経験したPapoが語る、Juice Bar時代の物語を紹介します。

THE SECRET SOUNDTRACK OF THE JUICE BAR ERA – Frank Rojas aka Papo

都会的音楽の歴史における最大の誤解のひとつは、ディスコやヒップホップ、そしてハウスが突然現れたかのように信じられていることだ。

しかし、そうではない。

それらがひとつのムーブメントとして広がる以前に、まず別の何かが存在していた。

ニューヨークのジュースバーの中だけでほぼ完結していた、アンダーグラウンドな音楽現象だった。

ほとんどの人はこれらのレコードを耳にしたことがなかった。

商業ラジオで流されることもなければ、チャートの上位を賑わせることもなかった。大衆向けに宣伝されることもなかった。

それらは、ある秘密の世界に属していたのだ。その世界を支配していたのは、音楽のかけ方そのものにまったく新しい方法を生み出した、第一世代の偉大なDJ達だった。

彼らは単にレコードを選んで流していたわけではない。彼らはひとつの体験を創り上げていた。

熱気を生み出し、感情を操り、ダンスフロアを単なるパーティーではなく、まるでスピリチュアルな集いのような場所へと変えていた。

彼らがプレイしていたレコードの多くは、ブラック・ミュージシャン、シンガー、プロデューサー、アレンジャー、そしてバンドによって生み出されたものだった。それは当時、最も革新的な音楽のひとつだった。

ソウル、ファンク、ジャズ、アフロ・ラテンのリズム、重厚なパーカッション、実験的なグルーヴ、身体に直接語りかけるような、そんな音楽だった。

ジュースバーのDJ達はほとんどの人が、決して耳にすることのないような楽曲にアクセスできた。そのムーブメントの一員でなければ、出会うことすらなかった音楽だ。

それでも、その音楽は不思議と広がっていった。いとこを通じて。友人を通じて。近所の人を通じて。ダンサー達を通じて。友人の友人のさらに友人へと。

もし、そのカルチャーとつながっていたなら誰もが知っていたはず。

どこでパーティーが開かれるのかを。どのDJがプレイするのかを。

そして何よりも――その曲を知っていた。

それは、その曲が有名だったからではない。人々を動かしたからだ。

これらのレコードこそがジュースバーを熱狂で満たし、ダンスフロアを突き動かしていたレコードであり、Rock Danceを生み出す原動力となったレコードである。

そして後にディスコ、ヒップホップ、ハウス・ミュージック、さらには、その後のストリートダンス文化のほぼ全てに影響を与えることになるレコードたちだった。

例えば、このような楽曲:

James Brown’s
“It’s A New Day”

Bobby Byrd’s
“Hot Pants I’m Coming”

Baby Huey’s
“Listen To Me”

Jimmy Castor Bunch’s
“Potential”

Manu Dibango’s
“Soul Makossa”

Osibisa’s
“Music For Gong Gong”

Donald Byrd’s
“Lansana’s Priestess”

Lonnie Liston Smith’s
“Expansion”

Earth, Wind & Fire’s
“Power”

Isaac Hayes’
“Theme From The Men”

そして、ほかにも数え切れないほどの曲があった。これが、競い合うRock Danceシーンを支えた音楽だった。

ダンサー達を互いに挑戦させる音楽。新しい動きを生み出させる音楽。独自のスタイルを築かせる音楽。自らのアイデンティティを形づくらせる音楽。

そして、評判や名声を勝ち取らせる音楽だった。

一方で――

このカルチャーにはもうひとつの側面もあった。人々が語り合うためのレコード。

グルーヴに身を委ねるためのレコード。熱気に包まれたフロアにひと息つく余白を与えてくれるレコード。

Marvin Gaye.

The Chi-Lites.

Gil Scott-Heron.

The Spinners.

The Temptations.

Ramsey Lewis.

The Four Tops.

このような音楽が、ダンスバトルや華やかなスタイルの見せ合いだけでなく、人と人とを結びつけていたのだった。

そして最後に――スローソング。

忘れ去られた章だ。なぜなら、ジュースバーのムーブメントは単なる競争の場ではなかったからだ。

そこには、人と人とがつながるための時間もあった。

夜が更けるにつれてフロアの空気も少しずつ変わっていった。熱狂はやわらぎ、照明はほのかに落とされる。

ダンサー達はやがてカップルとなり、フロアはスローダンスのための場所へと姿を変える。

そして、多くの人にとってそんなひとときは、夜の最高潮の時間に起きた、どんな出来事にも劣らないほど大切な思い出となった。

The Delfonics.

The Moments.

Soul Generation.

The Fuzz.

The Originals.

The Dells.

Billy Stewart.

そんなアーティストたちのスローな名曲が、夜の終わりを静かに彩っていた。

騒がしさの中で終わるのではなく、親密さの中で終わる。スローダンスは付け加えた演目などではなかった。

それは、カルチャーに欠かせない大切な要素だった。

ジュースバー体験を形づくる、繊細で、かけがえのない一部分。ひとつの儀式。心を解き放つ時間。

そして、夜をともに締めくくるための大切な方法だった。

他にも、まだ何百ものレコードがある。まだ何百もの物語がある。まだ何百もの思い出がある。

だが、これらの楽曲を理解することは、このカルチャーの土台を理解することにほかならない。

なぜなら、

ディスコがメインストリームになる前に、ヒップホップが世界へ広がる前に、シカゴからハウスミュージックが生まれる前に。

そこには、ジュースバーサウンドがあった。

そして、その時代を生きた者たちは、その言葉が何を意味するのかを正確に知っている。